RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

01
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

レイニンの「いくらほしいの?」

レイニンブログです
<< 昨日は一家でPANTA三昧 | main | 佐高信+小室等 >>
風間杜夫一人芝居
0
    調布で風間杜夫の一人芝居を見る。構成もよく考えられているし、水準の芝居とは思うが、ライブを体験し終わった後の興奮がなかった。
    理由はいくつかあると思う。最初に感じたのは、一人芝居としての厳密性に欠けるといったらいいのか。前に渡辺美佐子の一人芝居を見た。舞台は大衆演劇の女座長の楽屋に設定してあって、一幕一場だったと思う。座長の楽屋なので、一人でいることに違和感がなく、それでいて、楽屋の外や、戸を開けて何か言ってくる人とのやり取りが(姿は見えなくても)自然且つリアリティがある。最後は鏡に化粧しながら、鏡に写っている背後の人物とやり取りする。舞台の板の上に、一人でいることの制約を逆手にとって、見る方を引きつける。
    今日の芝居は、のっけが喫茶店の店内。舞台装置がちゃんと作られているので、風間が話しかける相手の女の姿がないことが、なにか変。セリフはなくていいから、生身の女優さんを座らせておいた方が、ひっかからない。実際、一場面だけ生身の人が登場する場面があったが、その人というのは無機質的な存在の役(ネタばれになるかもしれないのでわかりにくい表現でとどめる)で、不気味なリアリティがあった。
    初期のつかこうへいの芝居のように、舞台には象徴的な大道具一つ(熱海殺人事件だったら机)ポンとあった方が、一人芝居の不自然さを補う。補うどころか、効果的。
    つまり一人芝居としてのストイシズムを放棄した作りだったのは残念だった。
    理由その二
    会場が大きすぎ。紀伊国屋で長くかかっていたらしいが、一人芝居はあそこの広さ(定員400名と少し?)が限度ではないか。風間杜夫がカラオケ好きという設定で、観客に合唱を促す場面もあるのだが、声が大きく聞こえないので、一体感がかもし出されない。
    その三
    今日の二本は、実は先行する三部作があって、記憶喪失した男のストーリーの完結編らしいが、前を見ていないと、いまいち共感や同化ができないのかも。それのケアとして、あらすじ紹介もあったにはあったが。
    そして最後に、最も不満だった点。風間杜夫といえば、芸達者でありながら、瞬間的にわき上がるテンションの高さが魅力だったはず。それが、妙にまとまっていて、風間の狂気と色気が不発だった。
    今までのことと関係があるのかないのか、観客層がほとんど高年齢層だったのには驚いた。平日の東京郊外という条件を考えても。風間は僕と同年齢(1949年生まれ)だが、今日の客の平均年齢は2,3歳上に見えた。だからか、会場に唱和させる歌は五つの赤い風船の「♪遠い世界に〜」だし、風間が聞かせどころとして歌い上げるのは、三波春男の「俵星源太(表記不明)」。これは客の年齢層を意識してるのか、たぶん風間もリアルタイムでは聞いてない曲と思う。
    つまり、スチワーデス物語の教官や銭形平次の風間杜夫がいたということなのかなぁ。ひとつ年下のパンタがあれだけ現役バリバリなのに(若い頃のステージは知らないが)。銀ちゃん(蒲田行進曲)や木村伝兵衛(熱海殺人事件)の風間は不在。それを求めるのは、こちらのノスタルジーかもしれないが。
    | - | 01:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









    http://reinin.c-kikaku.com/trackback/621673