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レイニンの「いくらほしいの?」

レイニンブログです
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久しぶりに終電逃す
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    日暮里に芝居を見に行った。しずくまちbという劇団の「しびれものがたり」。
    舞台は現代のとある町。本屋の主人は指先の感覚を失ったらしく、妻がその指にいろいろな物を触らせている。回復を願っているのだ。時には、夫に内緒で画鋲を突き刺して、本当に感覚がないか試したりする。時には自分の乳房を押し当てて。妻はいらだつ。感覚を失ったことに、夫が動揺していないことに。夫婦の乖離が始まりそうだ。「あの人が失ったのは指先の感覚だけではなくて、……」
    もう一人、感覚を失った人が描かれる。定食屋の女将さん。味覚を失ったのだ。
    やがて、五感を失った人に代わって、その人の感覚を読むという謎の人物「代理人」が現れて、町の人々を翻弄し始め……
    一瞬、ジョージ・オーウェルの「アニマル・ファーム」を思わせるが、あくまでも小さな町の数家族に絞って話は展開。

    あえてテーマを読み取ろうとするなら、主体性を放棄することの甘美と悲劇、それからの回復(その契機が純朴な愛)。そのラストシーンでは、ちょっと感激(0.5秒ほど、涙目になった)。

    脚本に力があり、言いたいことがよくわかる芝居。その分、役者の芝居というよりは、作家の芝居という側面が強い。

    一緒に見た劇団再生の高木尋士氏、コンブ嬢と居酒屋へ。
    コンブ嬢の「芝居である必然性、これこそ演劇ならでは表現できないなにかではなかった」という感想は的を射ている。それこそ、高木氏の劇団再生の芝居でもある。文学性に優れた舞台だったというべきか。
    誤解なきように付け加えるが、芝居はテーマ性に引きずられてものではなく、それそれの人々・家族・周囲の人の苦しみ、などがストーリーとしてうまく語られていて、飽きない。次の展開はどうなるんだろうと思わせる。役者も、みな達者。効果音が一切混じらず、セリフとハープだけなのも、あまりあざとくしない作劇に合っていて適確。ちなみにこのハープは、実際に舞台右端にハープイストがいて、生演奏だ。

    感想戦のさなか、今日の芝居に出演していたあべあゆみさんが登場。彼女は劇団再生の女優。なので、高木さんの芝居について思っていたこともぶつけてみた。「役者がどれだけあの(難解な)脚本を自分のものとして内在化して演じているのか?」...etc.etc.談論風発で愉快・痛快なひと時。
    ンなわけで、生ビールたった一杯なのに終電を逃した次第。

    ただ、コンブ嬢に言われたのが「レイニンさん、芝居の話をしている時が一番いきいきしてる!」。うーん、いいのかなぁ、とちょっとショック。企画や仕事の話をしているときはどうなんだと。

    さて、寝袋も準備したし、久しぶりの事務所泊まり。どんな夢をみることやら。
    | - | 01:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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